木下雄介の異色の経歴と嫁の支えがスゴイ!出会いと馴れ初めもチェック!

2019年6月26日放送の水トク!「壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち」では、中日ドラゴンズの木下雄介さんと妻の茜さんが出演されます。

異色の経歴を持つ木下投手と、ブランクがある時代から支え続けてきた妻の茜さんの間にはドラマティックなストーリーがあるそうです。そんなお二人について調査してみました。

木下雄介プロフィール

木下雄介

  • 出身地:大阪府大阪市平野区
  • 生年月日:1993年10月10日
  • 学歴:駒澤大学中退
  • 身長:183cm
  • 体重:80kg
  • 投球・打席 :右投右打
  • ポジション:投手
  • 所属チーム:中日ドラゴンズ・背番号98番(2017〜)
  • プロ入り:NPB・2016年 育成選手ドラフト1位
  • 初出場:NPB・2018年4月15日
  • 年俸:700万円(2019年)

木下雄介のプロ入り前の経歴

徳島県の生光学園高等学校の野球部に在籍していた木下雄介さんは、2011年の3年生の時に全国高等学校野球選手権徳島大会で決勝に進んだものの延長13回の末にサヨナラ負けで敗退し、甲子園出場の夢は叶いませんでした。

しかし、8月には四国選抜チームとしてハワイ遠征を経験しています。

よく年、2012年に駒澤大学に進学しましたが、右肘を故障したのをきっかけに4ヶ月で駒澤大学中退してしまいます。

怪我の状態がよほど悪かったのでしょうか、入学4ヶ月で大学も野球も辞めてしまうとはかなり大変な決断をされたんですね。

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異例の経歴、野球を辞めてサラリーマンに

大学中退後は東京から地元の大阪に戻り、木下雄介さんは日雇いのアルバイトや、スポーツジムのインストラクターなどをしてフリーター生活をするようになりました。

木下雄介

こうして野球から完全に離れた生活を送るようになります。

ジムのトレーナーを経て、2014年からは不動産会社で営業の仕事に就きサラリーマンになりました。

この間約2年、野球とは無縁の生活をしていたのです。

嫁の出会いと馴れ初めは?

現在は結婚もされてお子さんもいる木下雄介さん。

嫁の茜さんとの出会いは、木下雄介さんのブランク中にありました。

大学を辞めて地元の大阪でスポーツジムのインストラクターをしていた時に、その勤務先のジムで契約社員として勤めていたのが2歳年上の茜さんでした。

結婚した時期は後述しますが、木下雄介さんがプロ入りする2017年より前に結婚して奥さんがいるということは周知の事実で、2016年10月に第一子で長女の叶望(かの)ちゃんが誕生。

2018年11月に第二子で長男の志厳(じげん)くんが誕生しています。

出会った頃の木下雄介さんはまだ19歳で、怪我で大学を中退してやさぐれていた時期。

フリーター生活で髪を金髪に染め、暇つぶしでハマったパチンコに明け暮れる日々。

かなりガラが悪い印象でコミュニケーションが取りづらそうな雰囲気でした。

木下雄介さんの第一印象は最悪だった(笑)と茜さんは語っています。

しかしアルバイトとして入ったジムでの勤務態度は見た目に反してごく真面目で、茜さんの見る目が変わったそうです。

帰り道が同じ方向だったことから次第に会話も増え、二人の距離は近くなっていきました。

そのころの会話で子供の頃の夢の話になり、木下雄介さんが野球少年でプロ野球選手の夢を断念したことを知った茜さん。

実は茜さんも、2歳から始めた水泳に打ち込みオリンピック選手を目指していました。しかし水泳の名門校に進学したもののタイムに伸び悩み、高校3年生の時に夢を諦めるという挫折を味わっていたので共感する部分も多かったそうです。

そんな出会いから2年経った2014年8月に交際をスタート。

木下雄介さんは髪を黒髪に戻し、不動産会社で営業の仕事に就き、二人の将来を考えるようになります。

野球へ復帰のきっかけと嫁の支え

2年もの間野球のブランクがあった木下雄介さんが、再びプロ入りを目指すまでのきっかけは、ある小さな出来事からでした。

サラリーマンをしていたある時、高校時代の仲間に軟式草野球の助っ人に駆り出された木下雄介さん。

草野球なら、と気軽な気持ちで投げてみたところ、周囲が言葉を失う呆気にとられる程の豪速球を連発!

肘も痛くない・・・!?

かつて故障した右肘の具合も2年間動かさなかったおかげで完治していたのです。

そんな様子を見ていた嫁の茜さんは今まで見たこともなかった木下雄介さんのかっこよさに感動。

「もう一度本気で野球をやってみたら?あんたはプロ野球選手になるべきなんや!」背中を押しました。

木下茜

サラリーマンをしている木下雄介さんはどことなく辛そうに見えていたのだそうです。

徳島・独立リーグからの再スタート

草野球での手応えと茜さんの後押しもあり、もう一度野球をやろうと思い立った木下雄介さん。

しかし完全に野球から離れていたので当初は何のツテもありませんでした。

そんな中、高校時代に四国選抜で一緒にハワイへ遠征した増田大輝さんが、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで活躍していたことを知り、そこでリーグの選手募集を知ることになります。

そうして徳島インディゴソックスに入ることができましたが、ブランクが長かったことから、正規のプレーヤーではなく、雑用なども受け持つ練習生候補という立場で、給料もゼロからの厳しいスタートとなりました。

かなりの条件の厳しさにひるんだ弱気になった木下雄介さんでしたが、ここでも茜さんの叱咤激励に奮起することになります。

「2年もブランクがあったんだから待遇が悪いのは当たり前。悔しかったらその腕で見返しなさい!」と発破をかけた茜さん。

木下雄介さんはサラリーマンを辞め、大阪から徳島に渡り野球漬けの日々へと舵を切りました。

茜さんは大阪のジムで働きながら週末は徳島へ行き、木下雄介さんの身の周りの世話をして支えたのです。

木下雄介さんは意を決して徳島のリーグに入団したものの、やはりブランクの壁は厚く一筋縄には行きませんでした。

長く続けている選手たちが大半の中で2年のブランクがある木下雄介さん。

プロ野球選手へのステップアップと考えていたものの、そう簡単なことではありませんでした。

途中、練習に行き詰まりを感じてパチンコに逃げていた時期もあったそうです。ここで茜さんにサボっているところを見つかり大激怒。

木下雄介さんの覚悟の甘さに、「徳島まで来て何やってるの!」と泣きながら叱咤され、ようやく本気の覚悟が決まったのでした。

そこからは茜さんも驚くほど木下雄介さんの意識が別人のように変わって行ったそうです。

今では最速150km/hのストレートと落差の大きいフォークが武器の木下雄介さんですが、練習生候補だった時点では球速はわずか128km/hしかありませんでした。

しかし木下雄介さんがスゴイのはここから147km/hまで回復させたのです。独立リーグきっての注目株と言われるようになりました。

通常、ドラフト指名されるような新人投手でさえ、高校の3年間で120そこそこから150km/hまで上げてくるのが普通ですから、木下雄介さんのポテンシャルの高さが伺えますね。

こうして2015にはリーグ開幕後に支配下選手契約となり、このシーズンは15試合に登板して防御率5.12の成績を収めました。

嫁の妊娠でプロへの夢を諦めかけた?

そんな矢先に茜さんの妊娠が発覚。

子供が生まれると今の状況では稼ぎも足りず生活が苦しくなるのは必須です。

茜さんは、雄介さんがプロを目指す夢をやめるといいだすのではないかと不安がありました。

しかし父親になる雄介さんに妊娠を伝えないわけにはいきません。勇気を出して妊娠を告げたところ、木下雄介さんは子供ができたことをとても喜びました。

まだ結婚前だったため、茜さんの実家に挨拶に行ったところ、経済力もなく責任を感じていた雄介さんは「(子供のために)野球をやめてちゃんと働きます」と言いましたが、木下雄介さんの夢を支えてきた茜さんはこれにを聞いて激怒。

ここで諦めたら一生後悔するだろうと確信がありました。

そこで茜さんは「野球をやめるのだったら結婚をやめてシングルマザーになる!」と豪語。

茜さんの熱意に打たれ、木下雄介さんは覚悟を決め、1年間プロ選手を目指す時間をくださいと義両親に約束を取り付けました。

こうして二人は2016年4月に結婚。

披露宴は行わず、生活費を稼ぐため茜さんは出産1ヶ月前までスポーツジムで働いて家計を支えました。

しかし独立リーグからドラフト指名される人数は毎年10人程度という狭き門。

しかも残された期限は1年しかありません。

そこから木下雄介さんは人が変わったようにこれまで以上に練習に打ち込みました。

ドラフト育成1位指名で中日ドラゴンズへ

徳島インディゴソックスで急成長した木下雄介さんは、ある日、先発のエースがデットボールを出して危険球退場。

急遽木下雄介さんがマウンドに上がることになりましたが、この時スカウト陣が視察していたのです。

これはチャンスだと踏んだ木下雄介さんは、今がアピールの機会だと150km/hを連発!

見事2016年10月20日のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから育成選手枠1位で指名を受けたのでした。

しかし、ドラフト1位で指名と言えども育成契約なので、支度金200万円・年俸300万円ほどとプロ野球選手にしては底辺の年棒です。

これから妻子を養っていけるのか、嫁の両親にも安心してもらえないかも、と不安だったそうです。

そんな木下雄介さんでしたが、家族に打ち明けると「おめでとう!頑張ってね」ととても喜んで迎えてくれたのだそうです。

嫁や家族の反応に迷いがなくなった木下雄介さんは、野球に打ち込んで結果を出そうと嫁の茜さんと子供を大阪に残して、名古屋の単身寮で野球漬け生活を送ることに。

こうした努力を重ね、2018年は育成選手で唯一、1軍キャンプに帯同しています。

木下雄介

そしてオープン戦で4試合に登板、5回を1失点という内容を評価されて2018年3月23日にめでたく支配下登録となりました。

年棒も700万円にアップ!

嫁の茜さんも大阪のスポーツジムを辞め、晴れて名古屋で家族揃って生活できるようになったのです。

木下雄介さんは2018年4月15日に念願の1軍デビュー。

デビュー戦を三者凡退に抑え、プロ2年目となる2018年は1軍で14試合に登板するなど着々と活躍の場を広げています。

過去を振り返って、嫁の茜さんがいなかったら絶対プロ野球選手になれてなかったと語る木下雄介さん。

華やかなプロ野球の世界でスター選手ばかりが注目される中、こうして一度はプロの夢を諦めながらも献身的な妻の支えで劇的な復活を遂げる選手もいるのですね。

今後の木下雄介さんの活躍が楽しみです。

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