元横綱輪島大士が死去!死因はがん?嫁と息子や引退後は波乱万丈だった

2018年10月9日、大相撲の元横綱輪島大士さんが死去したことが報じられました。

年齢は70歳だったとのことです。最近はメディアに出ることがありませんでしたが、輪島大士さんは闘病されていたようです。

横綱・北の湖とともに輪湖時代を築いた元横綱・輪島さんの死因は何だったのか、引退後の活動やご家族について調べてみたいと思います。

元横綱・輪島死去!死因は咽頭がんだった?

https://twitter.com/AHIMSA5578/status/1049472187298590720

現時点では輪島大士さんの死因について詳しい発表はされていません。

しかし、2013年12月に咽頭がんの手術を受けられたという情報がありました。

がんの切除手術を受けて成功していますがその影響で声を失なわれたということです。

他の可能性もありますが、がん手術から5年以内なので再発されたのかもしれません。

輪島大士の経歴

輪島

  • 名前:輪島 大士(わじま ひろし)
  • 本名:輪島 博(わじま ひろし)
  • 生年月日:1948年1月11日
  • 出身地:石川県七尾市
  • 血液型:A型
  • 身長:185cm
  • 体重:132kg

輪島さんは花籠部屋所属の第54代横綱。

1970年に日大を卒業して花籠部屋(師匠は元幕内・大ノ海)に入門。

同年1月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵を踏みます。

長身で体格も良く、存在感のある力士でした。

1973年5月場所を全勝優勝した後、横綱に推挙され、初土俵からわずか3年半という超スピード出世で横綱へ上りつめています。

1981年3月場所中に引退したあとは花籠部屋を継承しました。

輪島大士さんは若い頃からスター力士だったこともあり、プライベートは派手で、場所入りの際にはリンカーン・コンチネンタルを乗り回すなど華やかな現役生活を送っていました。

リンカーン・コンチネンタル

派手な生活の影響か、他にも金銭問題のトラブルがあり1985年12月に廃業に追い込まれます。

これは同年11月に、年寄名跡「花籠」を実妹の経営する料亭の借金の担保にしていたことが発覚したのが原因でした。

角界では前代未聞のトラブルだっただけに日本相撲協会は、輪島大士さんを委員から平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分にしたのです。

花籠部屋は部屋の継承者を決めることができず消滅することとなり、所属の力士たちは花籠部屋出身の魁傑が開いた放駒部屋へ移籍しました。

しかも初代若乃花や輪島らの横綱を陰で支えてきた先代師匠の妻・中島トミさんが1986年5月23日に首を吊り亡くなられるという事態に。

相撲の世界にいられなくなった輪島さんは1986年全日本プロレスへ入団。

1988年までプロレスラーとして活動されました。

https://twitter.com/Hotchi_Motto/status/1049476564776189952

プロレス引退後は、大相撲解説やタレントとしてテレビで活躍します。

特に日テレのバラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(1991年10月16日〜2001年3月14日)では準レギュラーで出演し、天然キャラが面白いと大人気になり「ワジー」のニックネームで親しまれました。

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輪島大士の嫁と息子

輪島さんは現役引退後の翌年、1982年4月に妻の五月さん(師匠・大ノ海の長女)が自殺未遂をされ、後に離婚されています。その後一般女性と再婚しています。

きっかけは準レギュラーで出演していた「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で「輪島お見合い企画」が開催され、ここで出会った女性とめでたく再婚されました。

そして輪島大士さんが51歳の時に、再婚した妻との間に男の子が生まれています。

息子さんの名前は輪島大地さん。

東京生まれで大地さんは相撲の道の進まず野球の道へ。

小学1年から「池雪ジュニアストロング」で野球を始め、中学は軟式クラブ「城南鵬翔」で投手兼遊撃手。

高校は甲子園を目指すために親元を離れて天理高校へ進み、2017年、3年の春からベンチ入りしています。

輪島大地

●身長187cm
●体重87kg

という父親譲りの長身で、輪島さんは「黄金の左」が代名詞でしたが、大地さんは右投げなのだそうです。

残念ながら大地さんのその後の進路は不明ですが、昨年メディアの取材で、高校卒業後は野球にひと区切りつけ、海外留学やコンピューターサイエンスの分野に興味があると語っていたので、おそらく今年大学に進学されていると思います。

 

トラブルで相撲界から身を引いてしまい、輪島さんはいろいろとありましたが本当に強い力士で昭和の大相撲を牽引する存在でした。あのまま花籠部屋が続いていたら・・・と感慨に耽ってしまいます。ご冥福をお祈りします。

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