2018年10月5日放送の爆報!THEフライデーにドリアン助川さんが出演されます。
ドリアン助川さんといえば映画「あん」の原作者で、出演していた樹木希林さんが先日亡くなられたことで注目が集まっていますね。
現在は作家としての活動が有名ですが、 90年代は「イカ天」などのバンドブームで「叫ぶ詩人の会」のボーカルとしてリスマ的な存在だったドリアン助川さん。
今は紆余曲折を経て、三宅島に移住して意外なものを作っているそうですよ?
どういう経緯でそうなったのでしょうか?詳しい情報を追ってみました。
ドリアン助川の経歴
- 名前:ドリアン助川(ドリアン すけがわ)
- ペンネーム:明川哲也(2002年〜2011年まで使用)
- 本名:助川 哲也
- 生年月日:1962年6月17日
- 出身:東京都生まれ、神戸育ち
- 学歴:早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業
- 職業:作家、詩人、ミュージシャン
ドリアン助川さんの活動はかなり多岐に渡っていて、同世代の人はあの歌わないバンドで有名だったバンド「叫ぶ詩人の会」のボーカルでしょ?という認識が主だと思いますが、結構いろいろなことをされてるんですね。
印象的なのは「金髪先生」という音楽番組で海外のロックアーティストを題材に英語を学ぶという内容で深夜枠にもかかわらず人気がありました。
タイトルそのまんまの金八先生に掛けて金髪で講師をしていたり、ラジオニッポン放送で人生相談のパーソナリティを務めたりと文化人に近いような活動もされていました。
ドリアン助川のバンド「叫ぶ詩人の会」
ドリアン助川さんは早稲田大学時代に「青」という劇団を主宰していましたが在学中に活動が破綻。
卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、1990年「叫ぶ詩人の会」を結成します。
これは放送作家でチェコに取材で訪れた際、アウシュビッツ強制収容所に送られる直前の子供たちが描いた絵に感化されて一念発起したのだとか。
バンドといっても詞の朗読とパンクロックを融合させた独特のスタイルで、自身が特派員だった頃の経験を活かしたカンボジアを題材にした反戦歌など、「社会派バンド」とも言われエッジのきいたバンドとして広く知られて行きました。
メンバーの事件でバンド解散へ
目立ったヒット曲は無かったものの、独自の音楽スタイルでコアなファンも多く、コンスタントに活動を続ける中、突如バンド解散の憂き目に会うことに。
1997年11月の全国ツアー初日にバンドメンバーのTakujiが覚醒剤所持で現行犯逮捕!
公演はもちろん中止となってしまいました。
翌年の1998年3月には責任を取ってTakujiが脱退。
夏にバンド活動を再開するも、所属していたポニーキャニオンに契約を打ち切られ、インディーズレーベルで活動を仕切り直すもうまくいかなかったようです。
1999年に無期限の活動休止、事実上解散となりました。
メンバー一人の不祥事でバンドが解散に追い込まれるとはなんとも厳しい世界です。
解散後は作家、朗読活動へ
ドリアン助川さんは解散後、心機一転、芸名を「明川哲也」と改名して本の執筆や朗読、ライブ活動を主にしていました。
執筆した本は多数あり、中でも映画化された小説『あん』はフランス、ドイツ、イタリア、英国など世界12カ国で翻訳されています。
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ちなみに芸名は周囲から活動上、複雑になりすぎるといわれたことで2011年にドリアン助川に戻しています。
確かにこっちのほうがインパクトもあって一度で覚えられますよね。
ドリアン助川が三宅島に移住した理由
「爆報!THEフライデー」でも紹介されると思いますが、バンド、執筆、朗読とインドアな活動をしてきたドリアン助川さんがなぜに三宅島に移住したの?と不思議に思うところですが、答えはドリアン助川のブログに綴られていました。
移住したのは2016年の12月12日から。
完全移住というわけではなく、東京と三宅島を往復する生活にしたのだそう。
ブログには決意をこんな風に綴られています。
ボクは今、三宅島にねぐらがあり、毎月東京と島を往復しています。
なぜ? とよく聞かれますが、火山のある島に住んでみたかった・・・わけではなく、火山のある島で試してみたいことがあったのです。
それは、火山灰土を好むイタリアのトマトの栽培です。
前回の噴火で全島避難となった三宅島。灰で覆われた島の様子を新聞などで見るたびに、いつか挑戦してみたいとボクは思っていました。
島の復興の一助になればいいという思いがひとつ。もうひとつは、みんなが群がらない場所にこそ宝が眠っているという考えからくる、ボク独自のロマンの追及です。
しかし、現実に毎月島に通うとなると出費もかさみます。このトマト大作戦を理解してくれる島の人に出会えるかどうかも一種の賭けです。
幸運なことに、実験をして下さる農園と巡り合うことはできましたが、これから先、島のみなさんが「トマトを栽培して良かったよ」と言って下さるようになるには、相当の時間と努力が必要だと思います。敗北もあるかもしれません。
引用:http://durian-sukegawa.com/blog-entry-239.html
以前から火山のある島で火山灰土に適したイタリアントマトの栽培に興味を持っていたんですね。バンド解散後に一時期アメリカに居たことがあり、その時に味わったイタリアントマトが美味しくて忘れられず心に残っていたのだとか。
ドリアンさんと三宅島とのつながりは無かったようですが、トマトの栽培への興味と島の復興になるかもという思いが行動の原動力になったそうです。
それにある一冊の本も三宅島への行動を後押ししてくれたと語っています。
その背中を押してくれたのが『ラガ 見えない大陸への接近』(ル・クレジオ/管啓次郎訳 岩波書店)です。
島が点在する広大な海を、ひとつの大陸として認識し、生活してきた人々がいる。この視点を一時的でもボクやあなたが持てたのだとしたら、世界は一変します。
行間や余白から、文字にはならなかった文字たちが立ち上がり、縦にも横にも広がって「固定されてしまった見え方」の上に、まさに多層的な人間の在り方、世界の見え方を透明に提示してくれるのです。
ボク個人の例で言うならば、
「三宅島でトマト」というアイデアに対し、賛成してくれた人はほとんどいませんでした。でも、ル・クレジオのように、かつて人類が有した視線、あるいはまったく新たな感覚をもってひとつの火山島を見つめ直したとき、そこにあるのは希望だと思ったのです。
引用:http://durian-sukegawa.com/blog-entry-239.html
ドリアンさんはラガと三宅島に思いを重ねて見ていたんですね。
それにしても一冊の本がこうして大きな行動をの後押しとなったんですね。
最初は意気込んでいても作物の栽培となると人の協力は欠かせませんし、実際に成功するまでどのくらいの時間が必要になるかもわからないものです。
よく実行に移せたなとドリアンさんの行動力に感心させられます。
三宅島でのトマト栽培が成功!
こうして2016年末に三宅島に移住してから約1年半。
なんとトマト栽培が成功したそうです!
三宅島の菊地農園や農業試験場と実験栽培と続けた結果、火山灰を好むイタリアのクッキングトマト「サンマルツァーノ」が無事に実ったそうです。
日本の糖度重視の生食用のトマトとは違い、サンマルツァーノは加熱調理用の旨味が強い品種ですが、三宅島の火山灰では生でも食べられるくらい美味しくできたと農園のお墨付きです。
イタリアと三宅島の合作ということでトマトは「三宅サンマルツァーノ」と名付けられ、2018年から予約販売で出荷できるまでになりました。
樹木希林も応援で火がついた?
ドリアン助川さんは映画『あん』の原作者ということで、2016年3月に三宅島での上映会をしたそうです。
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その時に一緒に訪れた主演女優の樹木希林さんや三宅島の人々の前で熱くトマト栽培の夢について語ってしまい、
樹木希林さんからも「がんばりなさいよ」と励まされ後に引けなくなったそうです。
あの希林さんに言われてしまっては頑張らないわけには行きませんね!
そうしてその年の12月に三宅島に移住するまでになったのでした。
バンドボーカル、作家活動、朗読と経て、今ではトマト栽培で三宅島の復興支援と意外な経歴のドリアン助川さんですが、何でもやり遂げる姿勢はドリアンさんの思いの強さから来ているのでしょうね。
幾つになってもやる気があれば何でもできるというお手本のようなお話でした。
「爆報!THEフライデー」での実際の移住生活も見られるのが楽しみです。