村田三枝が平尾昌晃の後妻のマネージャー?経歴や馴れ初め顔画像は?

歌手で作曲家の平尾昌晃さんの60億円にものぼるとされている遺産相続を巡って、3男の平尾勇気さんと平尾昌晃さんの再々婚した妻Mさんとの間でトラブルになっています。

平尾勇気さんは9月25日に開いた記者会見では弁護士や会計士を従えて、刑事告訴も辞さないような強い発言内容で泥沼の様を呈しています。

個人的には平尾勇気さんの会見時の金髪にキラキラネクタイの独特なスタイルに、なんかこっちも胡散臭い・・と思ってしまったのですが、父・平尾昌晃さんの遺品のネクタイを締めて会見に臨んだとのことで納得。

それにしてももうちょっとちゃんとネクタイしめた方が印象良かったですよ、勇気さん。

一方、平尾昌晃さんの3番目の妻・Mさんは長年チーフマネージャーとして公私ともに平尾昌晃さんを支えてきた女性だとか。

3回も結婚しているとなかなか家庭も複雑です。平尾昌晃さんの歴代の嫁も確認しながら、3番目の妻だとされる村田三枝さんとの関係を調査してみました。

平尾昌晃の経歴と妻子たち

平尾昌晃

  • 名前:平尾昌晃(ひらお まさあき)
  • 生年月日:1937年12月24日-2017年7月21日(79歳没)
  • 出身地:東京都新宿区
  • 学歴:慶応義塾大学中退
  • 職業:作曲家・歌手

平尾昌晃さんといえばJASRAC(社団法人日本音楽著作権協会)の理事や、社団法人日本作曲家協会・常務理事長を務めていた音楽界のドンとも言える立場でした。

作曲家として有名で、老若男女、誰もが聞いたことがある楽曲ばかり。

五木ひろしの「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」、自身が畑中葉子とデュオを組んだ「カナダからの手紙」

アン・ルイス松田聖子への楽曲提供。人気ドラマ『熱中時代』での主題歌「僕の先生はフィーバー」や時代劇の『必殺シリーズ』

『銀河鉄道999』など、例を挙げればきりがない程の多くの作品を残しています。

平尾昌晃の歴代妻と子供たち

平尾昌晃さんはこれまでに3回結婚し、2回離婚しています。

初婚:服部暁子

最初に結婚したのは1972年7月で、妻となった女性は当時19歳の現役大学生だった服部暁子さん。

平尾昌晃さんは34歳で15歳の年の差婚でした!

この結婚の馴れ初めは不明なのですが、どうやら「できちゃった婚」らしく、1972年10月に第一子の長男が生まれています。

しかし結婚生活は長くは続かず、平尾昌晃さんの浮気が原因で暁子さんは1975年に子供を連れて出ていき離婚となりました。

その後、服部暁子さんは1981年にフジサンケイグループの鹿内信隆社長と再婚され、鹿内さんとの間に男の子をもうけていますが、わずか2ヶ月後にクモ膜下出血で29歳の若さで他界されています。

再婚:小沢深雪

平尾さんの2回めの結婚は1978年。再婚相手は小沢深雪さんといい、この女性が平尾勇気さんの実母にあたります。

小沢深雪さんは平尾昌晃さんが経営する「平尾ミュージックスクール」の1期生として入学。

1975年に歌手デビューしています。

中でも「必殺シリーズ」の必殺必中仕事屋稼業の主題歌「さすらいの唄」で有名でした。

ちょっと山口百恵さんと似た美人ですね。

しかしこの小沢深雪さん、平尾昌晃さんが最初に離婚する原因になった浮気相手だそうです!

しかも浮気の末に、また「できちゃった婚」だったとか。

さらにさらに!再婚当時は平尾昌晃さんが40歳で小沢深雪さんは19歳の21歳差!また年の差婚なんですね。

凄い年下ばかりと結婚してたチャップリンを彷彿とさせますが・・・。

1978年10月に次男、1981年3月に3男の勇気さんが生まれました。

子供も2人恵まれ、やっと落ち着くかと思いきやそうはならず、80年代にまた離婚。

原因は平尾さんの多忙による夫婦間のすれ違いとされているようですが、華やかな芸能界で若い女性と出会う機会も多いでしょうから、女性問題もあったのではないかと邪推してしまいますね。

次男と3男の勇気さんは平尾昌晃さんのもとに引き取られ、お手伝いさんが住み込みで母親代わりのように育ててくれたそうです。

一方、小沢深雪さんはその後ニューヨークに渡り、現在は再婚して日本料理を経営されているらしいです。

母親と子供の関係がわかりにくいですが、整理するとこうなります。

●長男:名前不明(母・服部暁子)
●次男:平尾亜希矢(母・小沢深雪)
●三男:平尾勇気(母・小沢深雪)

長男と、次男三男とは異母兄弟となるんですね。複雑な環境で育っただろうと推測できますが、

今はとても兄弟仲は良いですと勇気さんはコメントしています。

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再々婚の妻はマネージャー

渦中の平尾昌晃さんの3番目の妻は一般人なので公にはMさんとされていますが、平尾昌晃さんのマネージャーを約30年間務め、平尾昌晃音楽事務所のチーフプロデューサーで現在50代である村田三枝さんだそうです。

平尾昌晃さんとの馴れ初めは、とある食事会で出会い、平尾昌晃さんが気に入ったことでマネージャーとなりました。

以来、公私ともに平尾昌晃さんをサポートしており、周囲では内縁の妻のような認識をされていたそうです。

3男の勇気さんとは昔から折り合いが良くなかったそう。

父親がバツ2でもう再婚して欲しくない勇気さんと、事実婚のような関係を続けていた平尾昌晃さんとマネージャーの村田さん。

平尾昌晃さんは勇気さんと会う時は村田さんを同席させないよう気を遣っていたそうです。

平尾昌晃さんも後ろめたさがあったのか、数年前に村田さんと入籍していたのを子供達に報告していなかったそう。4〜5年前に勇気さんの子供が生まれた時に取った戸籍抄本を見て初めて知り、驚いたそうです。

このことでさらに勇気さんの不信感は強まりました。村田さんは平尾昌晃さんから息子たちに報告しているものだと思っていたと証言していますが、認識の違いというかすれ違いなのか判断が難しいところですね。

本当は平尾昌晃さんが直接息子たちに報告できていれば問題なかったんでしょうけれど・・・。

そうして2017年7月に平尾昌晃さんが亡くなった後、村田さんが個人事務所の「平尾昌晃音楽事務所」と著作権管理をする会社「エフビーアイプランニング」の2つを引き継いで社長に就任しました。

これも株主で家族だった勇気さんの承諾を得ずに就任したとしてトラブルに拍車がかかっています。

ちなみに村田さんの顔画像を探してみましたが、やはり一般人ということで現状では見つけられませんでした。

まとめ

30年来、公私共に平尾昌晃さんを支えてきたマネージャーの村田さん。

平尾昌晃さんとは堅い信頼関係があったとは思いますが、残された遺産が莫大なだけに、

また息子の勇気さんが抱いてきた不信感や相続のトラブルが色々あるだけに、泥沼化しそうな気配です。

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